6月法話「蛍の光」
6月になると田舎では田植えが行われ,早苗(さなえ)が薫風に揺れています。
この時期になると田圃では蛍が乱舞し、その光景は幻想的です。古(いにしえ)から蛍に対する人びとの思いは、いつの世も変わることはありません。
かつて自坊の周辺には蛍が飛び交っていましたが、現在はまったく見ることができなくなりました。麦わらで蛍かごを編み、中に蛍草を入れて、暗闇の中で蛍の光を楽しんだことが懐かしく思い出されます。
弘法大師の著作である『三教指帰(さんごうしいき)』に「雪蛍(せっけい)を猶(なお)怠(おこた)るに拉(とりひし)ぎ縄錐(じょうすい)の勤めざるに怒る」(すなわち、中国の孫康(そんこう)や車胤(しゃいん)が雪の明かりや蛍の光で書物を読んだ故事をしのび、まだ怠っている自分を鞭打ち)とあり、勉学に人並み以上の努力を重ねられたことを述べておられます。
古(いにしえ)の人は、「蛍の光、窓の雪」と言って、夏は蛍の光で勉強し、冬には雪の明かりで勉強する様(さま)を苦学することに譬えました。「万能の天才」と言われた弘法大師でも、努力に努力を重ねられた人であったのです。電気のない社会での勉学は想像を絶するもので、文明の恩恵に浴している現代人には理解出来ないことでしょう。私たちは電気のある生活を当たり前と考えて日々を過ごしていますが、その恩恵に常に感謝の念を起こさなければなりません。
科学技術文明に恩恵を受けている私たち。時には梅雨空のあいまに見える天の川を眺め、彦星や織姫の物語を連想し、宇宙のなかでの自分の存在を考えることも必要かも知れません。