10月法話「お月さま」
令和7年は10月6日が「中秋の名月」でした。中秋の名月は旧暦の8月15日夜のお月さまのことです。この日のお月さまは最も美しいので、鑑賞する習慣が何時の頃か中国から伝わりました。
中国では「中秋節」として祝日であり、当日は月餅(げっぺい)を食べながらお月さまを見ることが盛大に行われています。その美しさは、宋代随一の詩人である蘇軾(そしょく)が中秋の月を「宝玉の皿」に喩えた話は有名です。
わが国では、お月見といえばススキに団子をお供えする様子が思い浮かびます。
現在、私たちが用いている暦法は太陽暦ですが、それはわが国で明治6年(1873)に採用されたものです。それ以前には、お月さまの満ち欠けを基にした太陰太陽暦(たいいんたいようれき)による天保暦によっていました。この天保暦は、中国流の太陰太陽暦であり、単にカレンダーを作る目的だけでなく、日・月食や惑星の位置、あるいは二十四節気などの要素を取り入れた暦です。実際に施行された太陰太陽暦では、世界史上最も精密であると言われています。これが旧暦です。だから、旧暦はわが国が歩んできた文化でもあり、種まきや収穫に適した時期を知ることが出来る農業暦でもあり、また、仏教行事にしても法会の内容に最適な季節を示しています。わが国において地域や家族で行われてきた節分やひ
な祭り、七夕やお月見の行事が忘れられようとしているのは、暦が太陽暦に変わったことに一因すると考えられます。
昼はお日さま、夜はお月さまに見守られて私たちは生活しています。子供の頃に、「お月さまにはうさぎが住んでいて、満月になるとお餅つきをするんだよ」とよく聞かされました。
古代中国では、月うさぎは不老不死の薬をついていると考えられました。それがわが国では、満月を「望月(もちづき)」と呼ぶことから「餅つき」に転化したといわれ、月うさぎは杵で餅をついていると考えられるようになったのです。