11月法話「お米」
わが国では縄文時代に稲作が行われて以来、お米は日本人の主食として栽培され、初めて収穫された新米は、初穂(はつほ)として神仏にお供えされました。
近年、11月23日は勤労感謝の祝日ですが、かつては、天皇が新しい五穀(米・麦・粟・黍・豆)を天神地祇(てんじんちぎ)にお供えし収穫に感謝する新嘗祭(しんじょうさい)の日でした。だから、この日より新米を食べるという風習が残っているところもあります。新米に野山の幸、あるいは海の幸を入れて作る炊き込みご飯を食べる時は、まさに至福のひと時です。
弘法大師は『秘蔵記』で、「天竺(インド)では米粒を呼んで舎利という」と述べています。インドの言葉である梵語では米粒はシャーリ(米、音写は舎利)と言います。一方、仏舎利の梵語はシャリーラ(骨、身体、音写は舎利)であり、語源は異なるものですが、共通部分のシャリを音訳して舎利とし、さらに両者の形状が似ているので舎利と言ったものと考えられます。仏舎利と米粒を同一視することはわが国においてもみられます。にぎり寿司の米粒をシャリと言い、奈良・室生寺(むろうじ)に伝存する「籾塔」には仏舎利の代用として籾を納入しているのはその一例です。
古来より、「米一粒、汗一粒」とか「お米を踏むと目がつぶれる」、「食べ物を残すと勿体無い」などとお米の大切さが言われてきました。しかし、現在の使い
捨て文明の社会ではお米に対する価値観が変わり、そういった言葉も死語になりつつあります。さらに、食生活の欧米化によってパンが主食となり、わが国でのお米の消費量が減少傾向にあります。その反面、海外でお米中心の日本食がブームになっているのは皮肉なことです。