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1月法話「馬」

令和8年は午(馬)年です。馬の中でも白馬は、神の姿を象徴するものと考えられました。わが国では神さまは白馬に騎乗して現れると考えられましたので、白馬は神の乗り物として神社に神馬(しんめ)を奉納されたことが、奈良時代の記録である『続日本紀』に記されています。白馬は神の姿の象徴として奉納されましたので、現在でも神社へ参拝すると白馬に遭遇することがあります。一方、馬を奉納出来ない人びとは、木や紙などで作った馬の像で代用し、さらに、それが叶わない時には板に馬の絵を描いて奉納しました。それが絵馬の始まりです。

50年ほども前にアニメ「白馬童子」が茶の間で少年の話題となりました。「流れ星」という白馬に乗って活躍した正義の使者を喝采し、毎週のテレビ放送を待ちわびたものです。

今から2千5百年ほどの昔にギリシャ人イソップが語った寓話に「馬をうらやんだロバ」の話があります。「ある牧場の小屋に毎日毎日重い荷物を背負わされて働かされているのに、まずい餌しか与えられない大変みすぼらしいロバがいました。その小屋の隣には、毛並みの良い馬たちが飼われていました。その馬たちは常に美味しい餌を与えられて、ていねいに世話されており、ロバは馬がうらやましくてたまりませんでした。しかし、ある時、戦争が始まると馬たちは戦場に連れて行かれ、大怪我をして戻ってきました。その中の一頭の馬が、ロバに「自分もロバに生まれたかった」といいました。これ以降、ロバは馬をうらやむことがなくなりましたということです。」(『イソップ物語』を筆者抄訳)

「灯台下暗し」と言われるように、他人のことは良く見えるのですが自分のことは見えないものです。弘法大師が、『般若心経』の注釈書である『般若心経秘鍵(ひけん)』で「それ仏法遥かにあらず、心中にしてすなわち近し」と説いているように、仏法は本来自分の心の中に具わっているものなので、自分以外に求めても無駄なことであると言うのです。他人のことばかり気にする生き方ではなく、自分のことに目を向けた生き方をすべきだと言うことです。

私たちは自分の長所を見つけることがなかなか出来ません。だから、他人のことが良く見えてうらやましく感じるものです。しかし、人それぞれが他人にない素晴らしい長所を持って生まれていますので、その長所を見つけることが大切なのです。